2015年12月14日撮影
◆別名:
◆所在:
豊田市野見町7
◆交通:
◆歴史:
室町時代末期に矢作川が豊田市を抜けた後、川幅が狭くなった鵜の首と呼ばれる箇所を望む東側台地の上に建てられた城で、台地の続く北側には空堀を巡らせた上で、半円形の曲輪を設けている。
形式は武田氏の城に多くみられる馬出状曲輪に良く似ているが、主郭との位置関係などから考えて出曲輪として配された物がたまたま馬出状曲輪に似ていただけのように思えるが、三河の諸城にはあまり見られない珍しい形式の曲輪である事は確かではある。
城主の名前には高橋頼貞と丸根美作守宗勝の名前があり、丸根宗勝の代に三河統一を目指す松平元康(徳川家康)に攻められて落城したと言われている。
◆現在:
丸根城址公園として整備保存がなされている。
主郭と北曲輪の間にある空掘。
通路としても使用されていたと伝わる。
北曲輪から空堀を挟んで本郭を撮影。
かなりの高低差が有る事が判る。
写真中央に映る住宅のすぐ先は矢作川となっている。
虎口から、北曲輪の北東を撮影。
写真右側の柵の内側が北曲輪となる。
空堀がかなり広い幅で掘られている。