◆別名:
◆所在:
豊田市岩倉町城ノ浦
◆交通:
◆歴史:
現地の案内板などによると、室町時代にこの地を領有した戸田氏、岩倉氏、天野氏の居城と言われている。
顕正寺に残されている戸田直矣(直次)の由緒板には、戸田宗光の次男である戸田玄蕃の子孫が築いた城となっているが、岩倉氏は戸田氏がこの地に進出する以前に土地を治めていた豪族で、応仁年間(1467年~1468年)頃、一帯に勢力を伸ばしてきた松平信光に対し、岩倉城主であった岩倉源兵衛は、保久城の山下重久、大給城の長坂新左衛門らと共に円川で戦いを挑み敗北。岩倉勢は四散したと伝えられている。
岩倉城は、山麓にあった岩倉屋敷の詰城のような物を、室町末期に戸田氏が進出してきた際に、尾根上に実践的な城を築いたと考えられる。
◆現在:
本郭周囲に土塁や堀切、馬出しが残されているが、ほとんど整備されておらず、竹藪に覆われている。
詰城と居館跡は畑地などになっており、土塁らしき痕跡もあるが、当時の物かは不明である。
城址碑の隣に立てられた岩倉城の歴史と縄張り図が書かれた看板