◆別名
◆所在
豊田市畝部西町屋敷
◆交通
国道248号線にある天神橋東の信号交差点を西へ入り、矢作川を渡る。
川を渡って1.5キロ程進むとNシステム(道路上にある防犯用カメラ)が見えてくるが、その角を北へ入った突き当りが幸福寺になる。
◆歴史
南北朝時代末期の武将、宇都宮(宇津宮)泰藤は南朝に従い、新田義貞が討たれた時に三河の上和田へ落ち延び、上和田城を築いて土着した。
泰藤の孫にあたる高正は泰藤の命により、この地へ移り住み、城館を築いて一帯の支配を始める。高正の息子である高朝は、後に国江城を築き、そちらを本拠とし、高正館に隣接する地には幸福寺を建立して父の菩提を弔ったと言われている。
高朝から三代後の高宗は永生3年(1506年)に松平家を裏切り、今川家に付いたため安翔城主の松平長親に城を奪われ駿河へと落ち延びたと言われており、国江城と共に城館も破却されたと伝わる。
◆現在
幸福寺の西側にある西神明社のあたりは道路と水路が不規則になっており、この辺りが城館跡なのかもしれないが、宅地化が進み遺構等も残されていない。