◆別名:
◆所在:
豊田市金谷町
◆交通:
◆歴史:
仁安3年(1168年)に長田忠致によって築かれた館である。
忠致は知多半島の豪族で、野間にある長田屋敷を本拠地とし、知多半島一帯に勢力を伸ばしていた。
保元・平治の乱で平清盛に敗れた源義朝が東国へ落ち延びる途中、長年の家人で乳兄弟の鎌田正清の舅でもある長田忠致の屋敷に身を寄せたが、忠致は平家からの恩賞目当てに義朝を殺害し、その首を六波羅の平清盛へと送り届けた。
この功により忠致は壱岐守に任ぜられた後、仁安3年(1168年)に高橋荘を賜り、この地に城館を築いた。
城館は南北に3つの郭が連なった長方形の土地に建てられ、周囲を幅4mの堀で囲まれていたと伝わる。
義朝の息子である頼朝が兵を挙げると忠致もこれに加わり平家を打倒するが、後に頼朝に父親殺しの罪で誅殺され、館も廃されたと言われている。
◆現在:
工場と住宅が建ち、周囲は田畑となっている。
館があった区画は、地図で見ると道路で囲まれており、跡地だった事が良く判る。